書評
『バウハウスと茶の湯』(新潮社)
はいからさんが通る
『バウハウスと茶の湯』(山脇道子著、新潮社)を読んでいて、思わずぼくは「これは『はいからさんが通る』だあ!」と叫んじゃったのだった。『はいからさんが通る』は、いうまでもなく大和和紀の少女マンガの古典的名作で、大正時代の若く元気でモダンな「はいからさん」花村紅緒の波瀾万丈の物語(つい、さっき廊下に座り込んで①巻から⑦巻までぜんぶ読み返しちゃった)だけれど、『バウハウスと茶の湯』の主人公、山脇道子さんの「はいからさん」ぶりも花村紅緒にまったく負けちゃいないのである。
山脇さんは明治の大地主の長女として生まれた(「家賃の集金人を二十五人も抱え、新川あたりから築地まで自分の土地だけを通って人力車で帰れた」んだそうです)。お父さんは裏千家の老分(顧問)を務める茶人で、当人は幼稚園の頃からお茶の水東京女子高等師範の付属へ人力車で通い、「女の子のお友達は着物なのに、私だけが母が揃えた洋服でした。それにパンツ(ズロース)を、幼稚園で初めてはいたのも私だったようです(これは私が粗相して発覚したことでした)」というお嬢さんだった。
やがて、東京美術学校を卒業したばかりの若き建築家、藤田巖と見合い結婚。そこまではいいとして、このふたりはそのままドイツの伝説的な造形学校「バウハウス」に留学しちゃうのである。時に一九三〇年(!)、学長がミース・ファン・デル・ローエで、カンディンスキーやパウル・クレーも先生だったのだ(山脇さんは、カンディンスキーからずっと教わることになるうらやましい!)。
かくして、日本の伝統的なお金持ちのお嬢さんにして「はいからさん」のドイツ武者修行がはじまるのだが、その前にニューヨークに立ち寄って「結局、ドイツへ持っていく服はすべてニューヨークで新調し直しました。注文服もあつらえました。ステージみたいなところに立たされて、お針子さんにぐるりと囲まれて、それはいい気分。すっかりモダンガールになった勢いで、長かった髪もばっさり切って男の子のようなヘアスタイルにし」た上、ニューヨークからヨーロッパへ向かう豪華客船オイローパ号の中でも「この時も泊まりは特等です。日本人は私たち二人だけ。航海の七日間、ディナーでは毎晩違ったお振り袖を着ましたから、向こうの人たちは驚いたことでしょう」なんてことをやっていたのである。ドイツへたどり着いた山脇さんは夫の巖さんとバウハウスの学生となる。そこから先の奮闘ぶりは、本を読んで確かめてください。
『地球の歩き方』も格安航空券もTOEFLもフルブライト奨学金もまだこの世界に存在していない頃、へいちゃらで世界をわたり歩いていた女の子がいたのである。この「はいからさん」でいちばんびっくりするのは、肝っ玉が据わっていることと、なぜか身についているインターナショナリズムであろう。それは、森茉莉や幸田文を読んだ時にも感じることだ。
彼女たちは、みんな「豊かな明治」を背景に生まれてきた。といっても、明治生まれの人間がみんな豊かだったわけじゃない。森茉莉や幸田文や山脇道子には「豊かな明治」を教えることのできる大人たち――それは森鴎外であり幸田露伴であり明治の数奇者である山脇道子の父親であったのだが――がいたのである。果たして、「豊かな昭和」や「豊かな平成」を娘に教えることのできる父親はどのくらいいるのか? そして「はいからさん」はいまも可能なのか?難しい問題やなあ。
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