書評
『パラダイス・フラッツ』(新潮社)
「他人の不幸が嬉しい/のぞき見だけが生き甲斐/自分の都合が道徳/こんなストーカーがあなたのまわりにいませんか」と帯にはあって、確かに、都会のペット不可型マンションで猫と暮らす女性作家の生活と精神にずかずか土足で上がりこんでくる、世間という「他人の干渉と監視の狂気」を描いたこの作品の一面は、昨今はやっているストーカーものに当てはまるのかもしれない。でも異形の日常を顕現させることで常に読者をおののかせ続けてやまない作家・笙野頼子が、そんな単なるイマ風という程度の小説を書くはずもなく、自分のことを「ナウィマチェはざぁ」と名乗る粘着質の薄気味悪い女管理人と、彼女にべったり取りつかれて「悪魔の管理人室」という小説を書き続ける主人公との果てしない戦いを描いたこの小説には、新聞や雑誌で紹介できる程度のわかりやすい不気味さをまとったストーカーという存在を超えて、大きく普遍的(神話的?)な恐怖が内包されているようなのだ。
弱者の弱みにとことんつけこみ、他人の幸福を妬み、不幸を楽しみ、噂話をまき散らす――そうした「世間」が持つマイナス面を体現しているのが本書に登場する女管理人「ナウィマチェ」。その悪意と抑圧が主人公の精神を委縮させ、極度に委縮させられた精神はやがてブラックホールのように密度を高くしていき、ついにはすべてを吸い込む強力な重力場と化してしまう。現実の街は、そんな主人公の内面に吸収されて人面猫が俳徊する奇妙な風景を呈しはじめ、そこでは季節も時間も、生と死すら判然としないのだ。「世間」をこれほどダイナミックな方法で反転させ、かつその本質を暴いた小説が他にあったろうか。笙野頼子のアンテナのなんと鋭敏なこと!
というように、本書は人間社会が普遍的に備えている恐怖を描いて秀逸な作品なのだが、もう一点、書き忘れてならないのが笙野作品ならではのユニークな言語感覚だ。言葉に対して細やかな神経を持ち、言葉の力を畏怖し、しかも耳がいい。だから、笙野作品を埋め尽くす言葉は生きている。生きて、蠢(うごめ)いている。と同時に、本書の主人公同様「世間」からいじめられた経験を数多く持つ笙野頼子の小説には、“いじめられっ子のユーモア”とも言うべき笑いすら封じこめられている。この手の陰惨なテーマを扱って、これほど爆笑できる小説が他にあったろうか。笙野頼子の才能のなんと無尽蔵なこと!
【この書評が収録されている書籍】
弱者の弱みにとことんつけこみ、他人の幸福を妬み、不幸を楽しみ、噂話をまき散らす――そうした「世間」が持つマイナス面を体現しているのが本書に登場する女管理人「ナウィマチェ」。その悪意と抑圧が主人公の精神を委縮させ、極度に委縮させられた精神はやがてブラックホールのように密度を高くしていき、ついにはすべてを吸い込む強力な重力場と化してしまう。現実の街は、そんな主人公の内面に吸収されて人面猫が俳徊する奇妙な風景を呈しはじめ、そこでは季節も時間も、生と死すら判然としないのだ。「世間」をこれほどダイナミックな方法で反転させ、かつその本質を暴いた小説が他にあったろうか。笙野頼子のアンテナのなんと鋭敏なこと!
というように、本書は人間社会が普遍的に備えている恐怖を描いて秀逸な作品なのだが、もう一点、書き忘れてならないのが笙野作品ならではのユニークな言語感覚だ。言葉に対して細やかな神経を持ち、言葉の力を畏怖し、しかも耳がいい。だから、笙野作品を埋め尽くす言葉は生きている。生きて、蠢(うごめ)いている。と同時に、本書の主人公同様「世間」からいじめられた経験を数多く持つ笙野頼子の小説には、“いじめられっ子のユーモア”とも言うべき笑いすら封じこめられている。この手の陰惨なテーマを扱って、これほど爆笑できる小説が他にあったろうか。笙野頼子の才能のなんと無尽蔵なこと!
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初出メディア

チッタ(終刊) 1997年11月
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