書評
『ジャッカ・ドフニ 上 海の記憶の物語』(集英社)
繰り返す迫害への静かな怒り
文学とは、つらい現実から逃避する場ではなく、そんな現実と戦う現場であり、読み手にその力をもたらすものだと教えてくれた作家が、津島佑子だった。遺作の本書も、強靱な力を与えてくれる長編小説で、早すぎる死が本当に悔しくなる。時は17世紀前半、キリシタン虐殺の激化する江戸時代初期。アイヌ女性と砂金取りの日本男性の間に生まれ、孤児となった少女チカップは、キリシタンの少年ジュリアンを兄のように慕い、マカオへの逃避行を共にする。チカップはカトリックに惹かれながらも、女である疎外感と、かすかな記憶として残る母の歌うカムイ・ユカラから、アイヌとしての自分にこだわり続ける。その意思が、さらなる流浪と別離を用意する。
チカップを取り巻く者たちは、チカップ同様、ルーツを多様にする。イエズス会の神父たち、秀吉の侵略時に朝鮮半島から連れてこられた洗礼名ペトロ、ナポリ人の船乗りが日本女性に産ませたガスパル、アフリカからの奴隷の女性イブ等。
小説は、この「移民」たちが作り上げる社会こそを、普通の光景として描く。かれらは、自分たちが迫害されている状況について、静かな怒りを表す。
お上からきりしたんが禁じられとるいうても、町のひとたちまでがそんげん憎しみのかたまりになるっちゅうのも、ひどくつらか。(中略)
憎しみがうえから与えられて、そいに身をまかせるのは、まっこと、気持よかごたるし、いくらでん伝染するんや。憎まなけりゃならん理由なんぞ、だれも知らん。知りたいとも思っちゃいない。
これは今の日本の姿だろう。強権的な政治のもと、被災者が置き去りにされ、タブーにされ、ルーツを異にする住民が差別という暴力を浴びせられ、それを見て見ぬふりする社会。過ちの歴史は何度も反復されている。
タイトルのジャッカ・ドフニとは、アイヌ同様の少数民族であるウィルタ人のゲンダーヌという人物が、20世紀後半に網走に作った実在の民族資料館。「大切なものを収める家」という意味だ。チカップの物語の外側には、津島を思わせる語り手が自分の北海道旅行を思い出す私小説部分があり、8歳で亡くした息子とジャッカ・ドフニを訪ねた記憶が鮮明に語られる。息子とゲンダーヌとそこで過ごしたひとときこそが、語り手には幸福でかけがえのない、個人的な民族共存の瞬間だった。
まるでその瞬間が膨らんでいくように、チカップの物語はつむがれていく。それは、語り手の亡くなった息子が、津波で海にのみ込まれた少女と出会い、繰り広げる、理想と現実の混在した記憶なのかもしれない。
【下巻】 【単行本】
朝日新聞 2016年05月15日
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